【「日本書紀」から現代へ 歴史と疫病】
本年令和2(2020)年は、現存するわが国最古の正史『日本書紀』が編纂(へんさん)された養老4(720)年からちょうど1300年にあたる。私が昨年、夕刊フジで連載した「国難を乗り越える日本書紀」では対外関係を中心に、目下直面している問題が古来すでに想定されていたはずであることを論じた。
『日本書紀』には、わが国が「疫病」という「国難」をどう切り抜けたかについても記されている。そこにはやはり、われわれの心がけ次第で読み取ることが可能な、現在に通じる教訓があるのだ。
『日本書紀』によると、第10代崇神天皇即位から5年(紀元前93年)、疫病が発生して民の過半数が犠牲となり、翌年には「百姓流離、或有背叛」という事態に陥った。当時、皇居内では天神地祇(てんしんちぎ=天上界の神々と日本土着の神々)を代表する格好で天照大神(あまてらすおおみかみ)・日本大國魂神(やまとおおくにたまのかみ)が祀られており、崇神天皇は祈りつつ、政務にさらに精を出した。
ところが、それでも危機的状況を打開できなかったとみえ、崇神天皇は両神をそれぞれ皇女に託して皇居外で祀らせることにした。「畏其神勢、共住不安」というが、天皇といえど生身の人間の住居にもっとも大切な神を祀ってきたことが、致命的な不敬にあたると考えたのであろう。
日本大國魂神はのちに遷座され、戦艦大和の守護神(艦内神社の分霊元)としても知られる奈良県天理市の「大和(おおやまと)神社」となったとされる。天照大神の方は笠縫邑(かさぬいのむら=現在の奈良県田原本町か)で祀られ、やがて疫病が収束したようで、崇神天皇即位から12年には“緊急事態解除宣言”が出される。
その勅語の中では、今や過ちを改めて天神地祇を篤く崇敬していることが述べられ、さらに「長幼之次第及課役之後先」を知らしめたという。先人たちの経験を尊ぶよう勧め、不要不急の仕事が何かを明らかにしたといったところであろうか。
次の第11代垂仁天皇の時代に、天照大神は皇女倭姫(やまとひめ)に託された。倭姫は神託に従いながら、現在の県名でいえば奈良→三重→滋賀→岐阜→愛知、そして最後に伊勢へと遷座させたと伝わる。つまり、崇神天皇の時に発生した疫病への対応が、「伊勢の神宮」の起源となったことになる。
こうした『日本書紀』の記述から、現在のわれわれは何をくみ取るべきか。
筆者は決して、今から神宮をもう1つ造れと主張したいわけではない。疫病という国難に臨んで、天皇はまず自らの政治(まつりごと)=祭祀(さいし)を省みて糺したのである。
現在まで、あの伊勢の神宮が存続しているという事実は、役人や庶民も同じ精神を共有して行動してきたということを示している。ひるがえって、国難のなか不要不急の議論が展開されている目下の国会はどうか。今からでも、『日本書紀』に学ぶことは多い。
■久野潤(くの・じゅん) 歴史学者、大阪観光大学国際交流学部講師。1980年、大阪府生まれ。慶應義塾大学卒、京都大学大学院修了。本業である政治外交史研究の傍らで、戦争経験者や神社の取材・調査を行う。著書に『帝国海軍と艦内神社』(祥伝社)、『帝国海軍の航跡』(青林堂)など、近著に竹田恒泰と共著『決定版 日本書紀入門-2000年以上続いてきた国家の秘密に迫る』(ビジネス社)など。
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April 30, 2020 at 06:00PM
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疫病への対応が「伊勢の神宮」の起源 日本書紀から読み取る「国難」への教訓:イザ! - iza(イザ!)
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