プロ野球・ロッテの佐々木朗希投手(20)が10日、千葉・ZOZOマリンスタジアムで行われたオリックス戦で、プロ野球史上16人目の完全試合を達成した。1994年5月18日の広島戦で達成した巨人の槙原寛己以来、28年ぶり。パ・リーグでは78年8月31日のロッテ戦で記録した阪急(現オリックス)の今井雄太郎以来、44年ぶりの快挙となった。また、佐々木朗は13者連続奪三振のプロ野球新記録も樹立し、計19奪三振も95年の野田浩司(オリックス)の1試合最多記録に並んだ。
相手打者のバットが空を切る度に、ZOZOマリンスタジアムの温度が上がっていくようだった。歴史的瞬間に立ち会った観客の歓声がどんどん大きくなっていく。高まるボルテージの中心に、佐々木朗がいた。
歴史を塗り替える奪三振ショーは一回2死から始まった。160キロを超える豪速球に、150キロ近いフォーク――。三回には自己最速タイの164キロを2度マークし、球場がどよめく。六回の先頭・紅林を中飛に打ち取るまで13者連続三振を奪うなど、圧倒的な投球を繰り広げた。
岩手県陸前高田市出身の佐々木朗は、大船渡高時代から190センチ、86キロの体格を生かしたダイナミックさと柔軟性を併せ持ったフォームで最速163キロの直球を繰り出し、高い注目を浴びた。3年時の全国高校野球選手権岩手大会では準決勝までに計435球を投げ、翌日の決勝では「故障を防ぐため」との監督判断で登板せず、チームは敗れた。佐々木朗は当時、登板回避の判断を「ありがたいと思うし、その分将来活躍しないといけない」と話していた。
2019年のドラフトで1位指名を受けてロッテに入団。首脳陣の方針で1年目は体作りを重視し、対外試合での登板は一度もなかった。初の実戦登板は2年目の21年3月のオープン戦。その後は先発登板と登録抹消を繰り返しながら登板間隔を十分にとり、少しずつ経験を積んできた。大切に育てられ、そして迎えた勝負の年。リミッターを外された「大器」は今、その能力をいかんなく発揮している。
一人の出塁も許さないまま迎えた九回2死。最後の打者を空振り三振に仕留めて偉業を達成した瞬間、スタンドにいたファンは立ち上がり、チームメートたちが駆け寄ってヒーローを囲んだ。熱い、熱い祝福の中で、笑みがこぼれた。
試合後の記者会見で佐々木朗は、自身がやってのけた快挙について穏やかに語った。「明日にはしっかり忘れて、次回、またいいピッチングができるように」。今季の目標は「1年を通して(先発)ローテーションで投げる」ことだ。歴史を塗り替えた直後もどっしり、ぶれない。球界の新時代を担うエースのそんな姿から、「朗希劇場」はまだ始まったばかりであることが感じられた。【円谷美晶】
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