<業界歴52年目 フジテレビ三宅恵介エグゼクティブディレクターが語る>19
フジテレビ系トークバラエティー「はやく起きた朝は…」(日曜午前6時30分)は、今年4月に前身から29年目の放送に突入した。プロデューサーを務めるのは、同局「オレたちひょうきん族」の“ひょうきんディレクターズ”の三宅デタガリ恵介としても知られた、三宅恵介エグゼクティブディレクター(73)。テレビ業界歴52年目の三宅さんに、あれこれと聞いててみた。
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1951年(昭26)4月にテレビ業界に入った三宅さん。当時、フジテレビは番組制作部門を本社から切り離し、制作専門の外部プロダクションをいくつか設立していた。三宅さんは、そのうちの1社、フジポニーに日本舞踊家だった父親の伝で“コネ入社”した。
「僕らの頃は、日芸(日大芸術学部)が多かった。ひょうきんディレクターズでは荻野繁、山縣慎二がそう。先輩では、とんねるず石橋貴明の“ダーイシ”のものまねでおなじみの石田弘さん。あとは『夜のヒットスタジオ』をやっていた渡邊光男とかね。こんなに日芸ばっかりいいんだろうかってね(笑い)。僕は慶応の経済だけど、ちょっと引け目を感じてました。日芸では10年くらい放送学科で講師をやらせてもらって、いろいろな話をさせてもらいました」
当時のフジテレビ関連のスタッフは、学生時代からアルバイトしている場合が多かった。
「現場で仕事を覚えて、卒業して、そのまま続けて社員になることも多かった。1980年(昭55)にフジテレビが機構改革をして、制作会社をフジテレビに戻すことになって、僕もフジテレビの社員になりました。今のフジテレビの社員はね、ある意味で普通の企業のサラリーマンを目指す人、エリートを目指す人が来るじゃないですか。おとなしい人が多いのかな。昔は声の大きさとかでね、そういうのではい上がってきた(笑い)」
テレビマンになって始まったAD修業。平日の帯番組「お昼のゴールデンショー」では「前説」を任された。
「お客さんを笑わせて“あっため”ながら、拍手の仕方や番組進行の注意をします。この時に同い年の放送作家の高田文夫さんに前説の台本を書いてもらったりもしました。前説で笑いをとるために、山本リンダさんの振りを踊ってましたね。今は腰が痛いんで無理だと思いますけど」
前説で鍛えられた“芸”は演出家として、そして“三宅デタガリ恵介”として画面に登場する時にも役立った。下手なタレントよりも顔を知られていた。
「まあね、この歳になってこうやってね、お声がかかる。ありがたいことですね。『ひょうきん族』の頃は雑誌『JUNON』に連載を持っていました。当時売れていた女優さんを取材して、スタジオで一緒に撮影して5ページくらい。まぁ、社外活動というかバイトですね(笑い)。薬師丸ひろ子さんや桜田淳子さんをインタビューしたのを覚えています。さんまさんと大竹さんが結婚している時には、2人がハワイ行くのに同行して、向こうで取材をした時もありました」【小谷野俊哉】(続く)
◆三宅恵介(みやけ・けいすけ) 1949年(昭24)2月5日、東京都生まれ。慶大経済学部卒業後、71年にフジポニー入社。「欽ちゃんのドンとやってみよう!」「笑っていいとも!」「ライオンのいただきます」「タモリ・たけし・さんまBIG3世紀のゴルフ」「あっぱれさんま大先生」「ライオンのごきげんよう」などのディレクターを務める。80年フジテレビに転籍。81~89年の「オレたちひょうきん族」では「ひょうきんディレクターズ」の「三宅デタガリ恵介」としても活躍。90年からクリスマス深夜放送の「明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー」では、今も演出を務める。04年4月スタートの「はやく起きた朝は…」(日曜午前6時30分)では番組開始からプロデューサー。09年の定年退職後もフジテレビに嘱託のエグゼクティブディレクターとして在籍。千代田企画社長。
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