《幼少期、生まれ故郷・熊本市内の会館で『島倉千代子ショー』が行われた。昭和30年発売の島倉さんのデビュー曲、『この世の花』(作詞・西條八十、作曲・万城目正)は、わずか半年で200万枚を売り上げた。そんな歌謡界の大スターに、一瞬で魅せられた》
初めて見ました。美しい、これまで自分が見たことのない世界でした。小学校1年生のときでした。島倉さんが熊本に歌謡ショーの公演で来られるということで、バスと電車を乗り継いで会場に行きました。母(様子さん)が島倉さんの大ファンで、まだ弟(9歳年下)も生まれてなく、私ひとりを家に置いていくわけにもいかなかったのでしょう。
会場に入ったとたんに目を奪われました。ステージでは青だとか、赤だとか、黄色だとか、パッパッパッ、パッパパとライトがつく。そこに島倉さんが現れたんです。紫の振り袖で、白い花の模様の入った着物を着て歌っていらっしゃった。もうとてもきれいで、美しくて…。それまでテレビの歌番組でも見てましたが、そんなモノクロの世界ではなく、本当にきれいだった。
どの曲もみんな素晴らしかったんですが、なかでも『この世の花』という曲には感動した記憶があります。島倉さんのお声は、よく〝鈴を転がしたような声〟って、みなさんに言われていましたが、本当にそういうきれいな声で歌っていらした。
当時、私たちの周りはセピア色した(昭和30年代を舞台にした映画)「ALWAYS 三丁目の夕日」の世界だった。でも母に連れられて見た舞台は、自分の生活とは全く違った、きらびやかな別世界でした。
「大きくなったら、こういうふうになりたいな」って思ったのが、最初のエンターテインメント、島倉さんとの出会いかな。その衝撃たるや、びっくりしました。子供のとき、たった一度、島倉さんのステージを見て感じたことでした。
《島倉さんとの〝出会い〟は心に深く刻まれたが、熊本時代、舞台はまだ夢の世界。その後、父、智さんの仕事の関係で横浜市内に転居する。石川さんも小学5年生の途中で、横浜市立城郷(しろさと)小学校に転校、10歳のときだった。少女に夢だったエンターテインメントの世界への思いが募る》
横浜とはいえ、より東京ですから、いろんなものが身近になった。遊びにも行きました。ここが東京かぁ、『ザ・ガードマン』のところかってね。
《『東京警備指令 ザ・ガードマン』は40年4月から46年12月にかけてTBS系列で放映。宇津井健さん、藤巻潤さん、神山繁さんらが出演した事件ものの人気テレビドラマだ》
よく見た番組でした。時代を感じるでしょ。(ドラマの)オープニングで出てくる赤坂見附駅辺りの映像で、立体になっている道路(首都高速道路環状線と国道246号の立体交差)があるでしょ、いまは別にどうってことないけど、それを初めて見たとき、道が立体になってる~、東京ってすごいなって。住んでいた横浜にも、そんなに交差する高速道路もなかったですしね。
中学生(横浜市立城郷中)になってからですかね。お歌の稽古がしたいなと思ったんです。当時「なかよし」(講談社)、「りぼん」(集英社)という少女雑誌に児童劇団の広告が載っていた。「劇団ひまわり」「東宝」とかがあって劇団員を募集していたんです。
こういうところに行ったら子供のときに見た〝あの世界〟があるのかなと思って、母に「行きたい」と言ったら、「普通の塾に行くお金はあるけど、歌のお稽古は自分でアルバイトをしなさい」って。中学生ですよ、アルバイトっていっても、当時は中学生がやれるのは新聞配達か牛乳配達…。それで牛乳配達を選びました。(聞き手 清水満)
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