おめかしをした子供たちは、みんな胸を張り、笑顔をはじけさせている。
2015年8月にフィリピン・マニラ近郊で、西側愛弓さん(25)が初めてファッションショーを開催した時の写真だ。当時は大学3年で、昨年までに7回を数えた。
モデルの子供たちは、うずたかく積まれたゴミの山で知られた貧困地域・パヤタス地区から招いた。トタン屋根の小屋で、すり切れた服を着て過ごす子らに、「一人ひとりが『主役』になれる。そんな体験を届けたい」と考えたのは、「きっかけがあれば、人生は変えられる」と思うから。
それは「取りえもない女子大生」が、ここにたどり着くまでの歩みでもある。
阪神大震災が起きた1995年の神戸市生まれ。多くの支援者が全国から駆けつけ、「ボランティア元年」と呼ばれる年だ。
そのことは繰り返し、学校で教わった。でも成績は下の方、運動も苦手、打ち込めるものもなく、「できる人」の後ろを歩いていた。
唯一、興味を持てたのがファッションだ。けれど気に入った服を着ると、すぐ「派手」と言われた。「人生、すっごいつまらない」。そんなふうに思っていた。
もやもやしながら進学した大学で、「とにかく何かしたい」と、考えついたのが雑誌づくり。海外のストリートファッション誌なら、旅先でスナップ写真を撮れば良さそうだ。「英語も話せないのに」と止められたが、一歩を踏み出したかった。大学1年の時だ。
初めての海外一人旅で訪れたニューヨークで、摩天楼の下を行き交う人々の個性的で力強いスタイルに目を奪われた。
真っ赤なアフロヘア、青い口紅――。片言の英語で「I love your fashion(ステキな服ですね)」と声をかけ、手にしたカメラを示すと、みんな自信たっぷりにポーズを取り、写真に納まってくれた。
「こんなに自分を出していいんだ」。心の中で
貧困支援のファッションショーを思い立ったのは、撮影旅行で世界の格差を目の当たりにしたからだ。以前なら、そこで立ち止まったかもしれない。「何かやろう」と動いたのは、自分が変わったのだと思う。
支援先にフィリピンを選び、現地のNGOなどに電話をかけて協力を依頼。アパレル会社に服の寄付を頼んだ。実績もない大学生の話は、何度も断られたが、あきらめなかった。
見かねた大学の友人らの協力もあり、なんとか形になったショーを終えると、子供たちが笑顔で「Thank you(ありがとう)」と駆け寄ってきた。やりたいことが見つかった。
今はマニラに無償の服飾専門学校をつくる計画を進めている。現地を訪れるたび、「キャビンアテンダントになるの」「コックさんを目指す」と、ショーに出た子らが報告してくれ、支援を「1日の夢」に終わらせたくないとの思いが強くなった。
資金づくりのため、就職した会社を辞め、アパレル会社「coxco(ココ)」を設立。再生生地や倉庫に眠った残布で作った服の販売を始めている。
まだ実家暮らし。貯金も結構取り崩した。でも怖くはない。「できない理由を探すより、できることに目を向けたい」。そうやって前に進めばいいのだと、知ったから。(中田智香子 30歳)
1995年1月17日に発生した阪神大震災からもうすぐ丸26年となる。今の20歳代前半は、直接経験せず学校で学んだ世代だ。一方で、子供の頃からネットやSNSが普及し、世界中の情報に瞬時に接することができた世代でもあり、海外への関心が高いという特徴も指摘される。
震災を機に誕生し、国内外の災害支援に関わる「被災地NGO
からの記事と詳細 ( 【未来世代】 貧困の子にモデル体験…フィリピンでショー開催 - 読売新聞 )
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