弾劾裁判という名の政治劇
2021年1月13日、連邦議会下院は2回目のトランプの弾劾訴追を決定した。これを受けて、上院での弾劾裁判は2月9日から2月13日まで行われた。5日間の審議の結果は、有罪が57票、無罪が43票であり、有罪の確定に必要な67票に10票足りず、「反乱の扇動(incitement of insurrection)」を巡る弾劾裁判はトランプの無罪評決で幕を閉じた。
弾劾裁判とは、名前に「裁判(trial)」とあるが、これは通常の裁判とは異なり、あくまでも議員たちによる議論の結果で決まるものだ。真理や正義が直接的に問われるわけではない。その意味では、最初から政治劇であることは否めない。
形式的には刑事裁判に似ていて、原告として罪を問う検事にあたるのが、下院が担う「弾劾マネージャー」と呼ばれる人たち。ナンシー・ペロシ下院議長は、民主党から主席下院弾劾マネージャー(Lead House impeachment manager)となるジェイミー・ラスキン(メリーランド州選出)を含む総勢9名の下院議員を指名した。
ラスキン以外のメンバーは、ダイアナ・デゲッティ(コロラド)、デイヴィッド・シシリーニ(ロードアイランド)、ホアキン・カストロ(テキサス)、エリック・スウォルウェル(カリフォルニア)、テッド・リュウ(カリフォルニア)、ジョー・ネグス(コロラド)、マデリーン・ディーン(ペンシルヴェニア)、ステイシー・プラスケット(ヴァージン諸島)の8人。いずれも、検事や判事、あるいは弁護士やロースクール教授など法曹界での経験を持つものばかりだった。
一方、彼らに対峙するトランプ元大統領の弁護団だが、こちらは弾劾裁判直前まで、担当者が二転三転した。最初に誰もが思い出すトランプの私設弁護士であるルディ・ジュリアーニだが、彼に対しては2回目の弾劾訴追を防げなかったとしてトランプ自身が不満を表していた。そのためか、ジュリアーニも今回は弁護団には加わらないと早々に辞退を表明した。議事堂襲撃事件の当日、ホワイトハウスに集結したトランプ支持者たちのラリーでスピーチをした理由から、自分も目撃者であり弁護するのにふさわしくないという理由だった。
昨年(2020年)の1回目の弾劾裁判で弁護を担当した法律事務所や弁護士たちも軒並み辞退した。トランプが、弾劾裁判の場で昨年の大統領選での不正について主張することを求めたことが大きい。しかもトランプ自身は、弾劾裁判での宣誓発言を拒んでいる。要するに、トランプの代わりに弾劾裁判の場に出向いて、トランプに成り代わってトランプの信じる選挙不正について主張してくれる弁護士を求めた。そのため、弁護団が形になったのは、弾劾裁判まで残り10日に迫る頃だった。しかも、集まったのは互いに見知らぬ弁護士どうし。まさに寄せ集めの即席チームであり、そうした初顔合わせの者たちで弁護方針や役割分担を考えなければならなかった。
だが、この事実もまた、弾劾裁判の性格をよく現している。評決をするのは上院議員100名であり、つまり「陪審員」の方は、裁判前からすでに全員面が割れており、しかも、その半分は被告となるトランプの、いわば元チームメイトなのである。よくアメリカの法廷ドラマでは、込み入った裁判の場合、陪審員を全員、ホテルなどに缶詰にし、外界からの情報をシャットアウトして隔離する、という大技が振るわれることがある。それは陪審員が、彼らに先入観を与えるような風聞に惑わされることなく、法廷で提示される証拠や論理によってのみ審議を行うよう仕向けるためだ。判事は、そのような法廷論争の審判役としてある。それを考えれば、弾劾裁判が裁判ならざる何かであることは明白だろう。
しかもトランプの場合は、アメリカ史上初の2回目の弾劾裁判だ。その上で、弾劾決議が通ったときは現職大統領だったが、弾劾裁判が始められたときにはすでに元大統領、つまり一介の民間人である。しかも、その当事者のトランプ自身は、弾劾裁判の法廷である議場には出向かない。それではこの裁判が、最初から主役不在の狂騒劇になるのは目に見えていた。退任してなおトランプは、政治をリアリティショーにしてしまう。彼が見守る中、彼を巡って人びとが競い合う様は、まさに『アプレンティス』であった。
「暴君」の記憶を風化させないために
ここで簡単に、そんな政治劇となった弾劾裁判の経過を振り返っておこう。
すでに述べたように、基本的な構図は、弾劾マネージャーによる訴追とトランプ弁護団による弁護。それぞれ持ち時間として16時間が与えられたが、弾劾マネージャーが2月10日と11日をまるまる使ったのに対して、トランプの弁護団は2月12日に3時間ほど使っただけで済ませてしまい、そのまま2月13日の評決に臨んだ。余計なことを言わずに、速やかに無罪評決がでることを選んだわけだ。
もう少し詳しく見ていくと、初日の2月9日(第1日)は、弾劾裁判の審議に先立ち、共和党のランド・ポール議員から、そもそもすでに退任した元大統領を弾劾裁判によって裁くことは憲法上適切なのか、という動議が出された。審議の結果は、56対44で合憲が多数派となり、翌10日からの審理の開始が承認された。
初日のやり取りで注目を集めたのは、主席下院弾劾マネージャーであるジェイミー・ラスキン議員の手際の良さ。ロースクールで憲法を教えていた元教授らしく、1月6日の議事堂襲撃に至るまでのトランプの関与を、ビデオやTwitterに残されたトランプの発言(=肉声ないしはツイート)を引用しながら示していった。ポイントは、1月6日の当日以前から襲撃事件に至る素地がつくられていたということにあった。
このようにラスキンはすでに初日にして、この弾劾裁判の性格が政治劇であることを明らかにしていた。トランプを有罪にできなかったとしても、トランプがいかにアメリカのデモクラシーや政治を毀損することに力を注ぎ続けてきたか、ということを、民主党議員による訴追という形で公式に事実として記録に残し、その上で、間接的に(政治家の発言とはいえ)暴力を喚起する発言をソーシャルメディア上で野放図に流すことへの疑問を呈していた。こうして、今回の議事堂襲撃事件をより大きなアメリカ議会史の中に位置づけることで、記憶の風化を避けようとしているようだった。
それは、2月10日(第2日)でも変わらず、今まで公表されていなかった、襲撃時に議事堂を逃げ回っていた議員たちの様子を伝える監視映像が公開された。ミット・ロムニー上院議員やマイク・ペンス副大統領(当時)が逃げ惑う姿が示された。ロムニーは当初から反トランプの姿勢を明らかにしていた。一方、ペンスに対しては、1月6日の襲撃の際に「ペンスを吊るせ」と暴徒たちが声を荒げていた。どちらも暴徒に見つかったならば何がなされたかわからない。そして映像によればあとわずかで暴徒に出くわす可能性もあった。つまり、あの暴動は、もっと悲惨な結末をもたらしていたかもしれない。そんな恐怖感を募らせるものだった。こうして、1月6日の惨劇を決して忘れないように、後世に歴史として残すこと。近代的な議会の出発点には、暴君と化した王をたしなめることがあったが、その原初の役割に立ち返ることを求めるような映像だった。
そのような方法で2月11日(第3日)も、検事役の弾劾マネージャーたちはトランプの責任を追及した。王をたしなめるべく、このような事件の再発防止のためにもトランプを弾劾することで2度と公職につくことができないようにする必要があるという主張だった。
見え隠れした民主党と共和党の気性の違い
これは今回の弾劾裁判の一種奇妙なところでもあるのだが、それは弾劾マネージャーたちもまた、今回の議事堂襲撃事件の当時者であり被害者であったことだ。したがって、検事の側である彼らも、冷静に客観的に事態を語ることなどできなかった。自分自身が感じた恐怖をそのまま抱え込むことでトラウマにしてしまわぬように、積極的に自らの体験を告白し恐怖に打ち克とうとしているようにすら思われた。むしろ、中継映像を見ている一般市民に向けて、そのような印象を与えることで共感を得ることを目指していたのかもしれない。
ただその様子を見ながら感じたのは、多分、このようなナイーブさは共和党議員や共和党支持者たちには通じないかもしれないということだった。共和党はもっと見栄を張る。人前では弱さは見せず、むしろ強がってみせる。期せずして、民主党と共和党の気性の違いを見た気がした。
2月12日(第4日)の弁護団の反論はすでに記したとおり、余計な議論を起こさぬように必要な反論だけを述べた淡白なものだった。弁護団の主張が3時間で終わった後、4時間あまり上院議員の間での質疑が行われた。
そして、最終日となった5日目の2月13日は、最終答弁と評決をめぐる上院議員の間での議論に費やされた。途中、証人喚問が提起され一度は賛成多数で認められたものの、弁護側から、それならば証人をもっと呼ぶ、数十人は呼ぶという発言がなされ、多数の証人喚問によって弾劾裁判がダラダラと延期される可能性が危惧された。結局、証人は呼ばれずじまいで書面での提出にとどまった。
内容は、議事堂襲撃時のトランプとケヴィン・マッカーシー(下院の共和党リーダー)との間での電話による会話だった。極左グループのアンティファが襲撃していると嘯くトランプに対して、マッカーシーが、いや、襲っているのはトランプ支持者たちだと答えると、いやだとしたらケヴィン、彼らは君たちよりも怒っているということだね、と一蹴したというものだ。暴動を放置し、大統領としての職務を怠ったたことの証拠として取り上げられたものだった。
証人として想定されたのは、この電話でのやり取りをマッカーシーから聞いていた共和党のジェイミー・ヘレーラ=バトラー下院議員。
彼女は、下院の弾劾訴追にも賛成票を投じていた。彼女が証人喚問に応じ宣誓の下で発言したならば、共和党議員の間に波紋を呼ぶことは必至だった。その結果、審議が紛糾して長引くことになれば、上院のみならずアメリカ政府が機能不全に陥りかねない。なぜなら上院は、弾劾裁判だけに取り組んでいればよいわけではなく、バイデン新大統領が指名した政府高官たちの承認や、コロナ禍での追加経済対策の審議など、やらなければいけないことが目白押しだからだ。弾劾裁判が、はじめから政治劇であるというのはこのためでもある。周辺に控える数多の政治案件との間の駆け引きやバランスの上で行われる疑似裁判なのである。
こうして結局、証人喚問自体は行われず、予定通り議員たちの間でひとしきり議論がなされた後、57対43でトランプの無罪が決まった。57票ということは、共和党から7人が有罪に票を投じたことになる。その7人とは、ミット・ロムニー(ユタ州選出)、リサ・マカウスキー(アラスカ)、スーザン・コリンズ(メイン)、ベン・サッシ(ネブラスカ)、パット・トゥーミ(ペンシルヴェニア)、リチャード・バー(ノース・カロライナ)、ビル・カシディ(ルイジアナ)。
マコーネルの思惑
このうち、ロムニー、マカウスキー、コリンズ、サッシ、トゥーミの5人は、弾劾裁判前からトランプの有罪に票を投じると見られていたので、彼らに新たにバーとカシディの2人が加わった形になった。予想されたことではあるが、弾劾裁判後、彼らは皆、トランプ支持の共和党員たちから非難されることになった。特に弾劾裁判を通じて有罪に転じたバーとカシディについては、選出州の共和党からも正式に非難されている。
このように、共和党にとっては、評決後こそが見せ場となった。その中心となったのが、上院の少数派リーダー(院内総務)である共和党のミッチ・マコーネルだ。
弾劾裁判の評決が確定した直後、おもむろにマコーネルはトランプ批判の演説を行った。まさに古狸の面目躍如たるところ。当初から合憲性を理由に弾劾裁判そのものの是非を問うことで、弾劾裁判の結果を無罪にする方向に誘導しながら、しかし、無罪が決まった途端、手のひらを返すようにトランプ批判に回るのだから。実にマコーネルらしいやり口だ。彼の振る舞いは、昨年10月の、大統領選直前にスピード採決に至ったエイミー・バレット最高裁判事の承認のときと変わらない。法的に正しいかどうかが、彼の最終判断を決める。
実際に起こったことの中身の是非はとりあえず棚上げにして、外枠の「合法か否か」という点から判断する。つまり、常に価値判断は留保したたま、法的手続きとしての是非から判断しようとする。価値判断に触れずに、法的な手続きの是非に従うことで、表面上は中立を保っているように振る舞う。それがマコーネルの常套手段だ。
もっとも、そのように法の手続きに拘るところが実は共和党的な法の解釈でもある。マコーネルは、法律機械のような、その点で立法者というよりも法務官僚のような人物だ。
マコーネルは2月15日、Wall Street Journalに“Acquittal Vindicated the Constitution, Not Trump(無罪評決が守ったのは憲法であってトランプではない)”という意見を寄稿し、なぜ1月6日の議事堂襲撃事件の勃発がトランプにも責任があると感じながらトランプの弾劾裁判では無罪に投票したのか、それはあくまでも憲法に則ったからだったと説明した。沸騰した下院を憲法に従って宥めるのが上院の役目だ、と言いたげな内容だった。
1月6日に起こった襲撃の1週間後の1月13日には弾劾訴追を成立させた下院の速度と情熱はやむをえない。「訴追」を起こす側に怒りや正義感などの強い感情が伴うのはおかしくはない。むしろ、あれだけの惨劇が起こった後で、その破壊行為を受け恐怖に陥れられた当事者である連邦議会が、何のアクションも起こさないほうがおかしい。
問題は、その矛先が退任間近の現職大統領に向けられたこと。弾劾訴追が決まった一週間後には、新大統領にジョー・バイデンが就任しトランプは退任する。つまり、一週間すれば、弾劾されたかどうかに関係なく、トランプはホワイトハウスを後にする。ならば、まずはそれでいいではないか、という判断だ。
もちろん、実際に行われた2回目のトランプの弾劾裁判の経緯をみれば、都合5日間で結論を出すことができたのだから、バイデンが就任するまでの、1月14日から20日の間に弾劾裁判を実施することが絶対的に不可能なわけではなかったことだろう。マコーネルにはマコーネルの狙いがあったことは間違いない。
仮にバイデンの就任前に駆け込み寺的に弾劾裁判に臨んだ場合、民主党の狙いのひとつである、弾劾を成立させた上で今後トランプが公職につくことができないようにする、つまり2024年大統領選には立候補できなくする、という策に幻惑される共和党議員がでてきたのかもしれない。上院議員は下院議員よりも独立独歩の人が多いのも確かで、各自の判断に任せた場合、どのような結果になるかは予測できない。そのため、共和党の議員の間で混乱が生じる可能性もあった。なにより、そうして追い詰められたトランプが、いまだ大統領職にあるときに何をしでかすかわからない、という不安もあったことだろう。場合によれば、バイデンの就任式を予定通り行うのが困難な事態も生じていたかもしれない。
共和党と民主党、それぞれが狙う「次の一手」
このようなことをシミュレートしてみると、法に忠実なマコーネルが、自分の裁量の範囲内で確実だと思える判断として、弾劾裁判の実施をバイデンの就任式以後の上院に持ち越したことも理解できなくはない。政治の場において、予測可能性を高めることは重要だ。
もちろん、そのようにすれば弾劾裁判自体は、自分ではなく新たに多数派リーダーとなった民主党のチャック・シューマーによる舵取りとなるし、先ほどのWSJ寄稿にもあるように「すでに退任した大統領を弾劾することはできない」という論法で、同僚の共和党議員たちに対してもひとまず弾劾の結果を誘導することができ、党の分裂を回避することができる。
マコーネルにとって大事なことは、まずは上院で多数派を取り返すこと、その上でその多数派を自分が仕切ることにある。その点では、トランプとの共闘も、事実としてトランプが大統領の職にあり、同じ党の大統領と協調した方が上院の力を最大限発揮できると考えたからなのだろう。
その一方で、トランプシンパの議員が議会を仕切ることは好まない。それが、トランプの弾劾訴追に同意した共和党の下院議員であるリズ・チェイニーを容認したことや、明確には名指さなかったものの、マージョリー・テイラー・グリーンのようなQAnon議員を、共和党を蝕むがん細胞として糾弾したことにつながる。
弾劾裁判の投票結果が出た直後にマコーネルが、トランプが議事堂襲撃に責任があることは疑いのないことで、それはそれで、然るべき法的手続きを経て(刑法でも民法でも、連邦法でも各地の州法でも)、断罪されるべきである、とわざわざ議場で演説したのもそのためだった。マコーネルはマコーネルで、自らの保守的な政治信条や従来の共和党の考え方を踏まえた上で、危ない橋を渡ったのだ。
実のところ、今回の弾劾裁判の一件で、マコーネルとトランプは決裂したと見てよさそうだ(政治家ゆえ、それでも後日、手を組むこともあるかもしれないが)。それは、このようなマコーネルの批判に対して、トランプ自身が敵対する意志を明確にしたからだ。その発言は、TwitterやFacebookから締め出されたトランプが、久方ぶりに公にした発言として弾劾裁判後に公表されたもので、そこでは、マコーネルのようなつまらない男と関わっていると議席を失うから、早く彼の代わりを見つけたほうがいい、というものだった。
はたして、トランプはこの権勢を維持したままでいけるのか?
マコーネルのトランプ批判に呼応するように、民主党も次の手を打ち始めている。ある意味、マコーネルの期待に沿う形で、トランプに対して刑事罰を求める訴訟が提起された。たとえば、NAACP(全米黒人地位向上協会)は、72歳と高齢のバーニー・トンプソン下院議員(民主党所属でミシシッピ選出の黒人)の代理として、ヘイトグループを組織して議事堂襲撃事件を引き起こしたという理由で、トランプだけでなくジュリアーニもセットで訴えた。
訴訟の根拠は、1871年に制定されたいわゆる「KKK法」──連邦議会などが憲法に則って行う政府行為を、陰謀論グループが暴力等によって妨害することを禁じた法──に反したことだ(KKKとはもちろんクー・クラックス・クランのこと)。具体的にこの訴訟では、憲法の定めに従い1月6日の上下院合同会議で大統領選の結果を承認する行為を、議事堂襲撃という暴力をもって妨害したことがKKK法に反していると主張された。そのため、トランプとジュリアーニに加えて、Proud Boys(白人優位主義者グループ)とOath Keepers(ミリシアグループ)も訴えられている。黒人の地位向上を目指して活動を続けてきたNAACP らしい着眼点と言える。いまや数少ないトランプ御用達の弁護士であるジュリアーニも被告に加えることで、今後、ジュリアーニによる弁護を難しくする算段もあるのかもしれない。
一方、ナンシー・ペロシ下院議長からは、かつての「911委員会」に準じた調査委員会を連邦議会で設置しようという提案がなされた。911委員会は、2001年9月11日の同時多発テロ事件の真相解明のために連邦議会が超党派で設立した調査委員会で、その調査結果はいわゆる「911レポート」としてベストセラーにもなった。あの時と同じような委員会を設立し、新たに浮上した「国内テロリズム」への対策に備えようとする動きだ。
このように弾劾裁判後、それぞれがそれぞれの立場から、トランプと向き合う動きが始まっている。
ソーシャルメディアの未来が垣間見えた!?
最後に一つ付け加えると、今回の弾劾裁判は、ソーシャルメディアの未来に対しても重要なものだった。ジェイミー・ラスキンを筆頭に弾劾マネージャーたちの発言には、要所要所でトランプのTwitterでの発言が引用されていたからだ。
ソーシャルメディアによる扇動については、従来の「ファースト・アメンドメント(憲法修正第1条)」を枕にした議論では、現状、政府の直接的な関与は難しいため──それはいわゆるセクション230の扱い一つ見ても想像がつく──実質的にプラットフォーム会社の内規に頼っていたわけだが、これを期に、むしろ、政治家のソーシャルメディア上での発言について、政治家だからこそ一定の制約をつけようとする議論も本格的になされるのかもしれない。
少なくとも政府側がなんらかの指標となる議論を提示しないことには、民間企業の対処にもブレが生じるだろうし、そう言っている間に、たとえばTwitterやFacebookによる「ソーシャルメディア上の発言」の取り扱い基準が、一種のデファクトスタンダードに転じていく可能性もなくはない。バイデン政権でも無視できないセクション230の去就を踏まえると、媒介者ではなく発言者の特性を踏まえた制約を、何らかの形で示す必要がある頃合いなのかもしれない。政治家の倫理として、公職について以後の行動基準を示すタイミングなのかもしれない。
たとえば、いったん、公職の政治家になったら、それまでの一介の市民のときには言えた暴言も差し控えることが倫理規定として求められる、などとして、暴言でエンゲージメントを獲得するタイプの人間が勢いに乗って立候補してしまうことのないよう、障壁を上げたほうがいいのかもしれない。法的罰則の伴わない倫理規定になんの意味があるのかという疑問も生じそうだが、それでもガイドラインがあるかどうかが抑止力になるのが人間社会である。そのようなブレーキがあることが、ポピュリズムの時代に求められる「政治システムの自己防衛手段」のようにも思える。そうでないと、このままデモクラシーの内部から自壊しかねない。少なくとも共和党は、現状、内部分裂の危機に瀕しているし、民主党にしても、「反トランプ」の大合唱で大同団結をなんとか果たしたが、しかし、反トランプのムードが落ち着き、コロナ禍の危機も薄らいだとき、こちらもサンダース/AOCによる党内左派からの突き上げが生じる可能性もなくはない。
このように当初想定されていたよりもエモーショナルなものとなった弾劾裁判の傍らでは、トランプの去就だけでなく、共和党の行く末や、ソーシャルメディアの未来も、案じられることになった。トランプの4年間に、見て見ぬ振りをして封じられていた問題が、静かではあるが一気に吹き出してきたようである。トランプがリアリティショーにしたアメリカ政治はまだまだ終わらない。
からの記事と詳細 ( トランプのリアリティショー・ポリティクスはいまだ終わらない:ザ・大統領戦2020(34)池田純一連載 - WIRED.jp )
https://ift.tt/3sBOwEL
No comments:
Post a Comment